桑原 昌昭大工顧問
新潟県出身
15の時に新潟から出てきて、金子建設(タマケン近くの工務店さん)に住み込みで働き始めました。 とにかく人に負けたくない!という一心でしたね。 夜間も学校に通って、21の時には二級建築士の資格もとりました。
あの頃は体力がありました。17の時の夏休みには、新宿から新潟の実家まで自転車で帰ったくらいです(帰りはさすがに仕事に影響するので汽車で帰りましたけど。)
当時のタマケンは、まだ金子建設に材料を納めていた材木屋でした。その後、ご縁があってタマケンが工務店を始めたとき(昭和62年)にタマケンに入社しました。41歳の時です。大変な時代でしたよね。
金子建設のころから社員大工というカタチで働いています。社員大工というカタチであれば生活の心配がなく働けて、仕事に集中できます。結果としてよい仕事につながります。私は金子建設とタマケンしか知りませんが、誤魔化しのきかない環境でよい仕事をしてきたと思っています。
いま、タマケンのように社員大工というカタチでやっている工務店は珍しいと思いますが、安心して仕事ができる環境だと思います。実際に若い大工たちはほんとうに皆が一生懸命、よい仕事をしていますよ。大事な事です。よい仕事がお客さんの信用になりますからね。お客さんは必ず見抜きます。地道にそんな信用とつながりを作っていくことが大事だと考えています。